会報「あすなろ」2017年11月号 「失われつつあるもの」
ある小学生が、学校で禁止されているスマホを内緒で持ってきて、それを紛失しました。
以前だったら「ルールを守らないあなたが悪い」で済んだかもしれませんが、その親が
「うちの子のスマホが無くなったのは学校の管理が悪いから」と訴え、その結果学校の
管理責任が(一部)問われたというのです。
最近アメリカ並みに、個人の権利ばかりが守られることが増えているようです。
アメリカは移民の国で多民族・多文化の国ですから、どんな細かいことも裁判(法律)で
解決しなければならないのです。
訴訟逃れのため「電子レンジに猫を入れて乾かしてはいけない」などという信じられない
ような但し書きまで、レンジの取説に書かれているといいます。
かつて『因果応報』という、自己責任を主軸とした日本文化の考え方について述べたことが
ありますが最近の「何が何でもアメリカ的な発想が正しいのだ」という今の日本(マスコミ)の
考え方には、大きな違和感を感じてしまうのです。
近年、学校が子どもたちに『我慢(耐える力)』を教える力を失ってしまっています。
かつては授業中にフラフラ立ち歩く子はいませんでした。ある程度強制的に座らされました。
そういった繰り返しの中、子どもたちも「今は座っていなければならない時間なのだ」と理解
していったのです。
ところが今は、座っていられない子どもにはADHD(注意欠如多動性障害)などと病名がついて、
病気だから「仕方ないのだ」となってきたのです。
「やりたくない」と言えば、それが通ってしまうのです。
小中学校で“何でも自分の意見が通ること”を学んだ?一部の子どもたちは、社会に出て“自分の
思い通りにはならないこと”に出会い、引きこもりかブチ切れて犯罪、という極端な生活を余儀
なくされる大人になっていくのです。
現在の学校教育やアメリカ的な発想の最大の欠点は“今しか見ていない”ことです。
「かわいい我が子が学校で嫌な思いをした」と聞くと親はすぐさま学校にクレームをつけます。
学校は「何かあったら…と平謝り」親は満足して、かわいいうちの子は嫌な思いをしなくて済んだ、
めでたしめでたし…。
本当にそうなのでしょうか?
かつての学校の先生は、その子の将来を考え「どうしても、今叱らなければ」という発想をしました。
残念ながら現代は、子どもに手をあげたりしたら即懲戒の対象です。
ですから子供の将来を考えるより『今』を無難に乗り切ることが、優先(自分の生活を守ることにも…)
されるのです。
本来学校とは“人生を幸せに生き抜いていくための土台を作る所”のはずです。
何度も言う事ですが、人生には嫌なこと・自分ではどうにもならないことがたくさんあるのです。
それを乗り越えていくには、心が柔軟なうちに困難に打ち勝つ力を身につけさせなければならないのです。
親が進んで我が子の困難を取り除いていては『強い心』など育つはずがありません。
道場での稽古は「冬は冷房、夏は暖房」という環境の中で“自分の思いが通らないこと”、“地道に続けていく
ことにより素晴らしい力を手に入れられること”などを学ぶことができるのです。
道場に来て稽古している時間は、今の学校教育では手に入れられない(10年後、20年後の)未来を生きる力を
作っている時間なのです。
平成29年11月1日
支部長 重 田 紀 元

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