会報「あすなろ」2018年4月号 「やはり幸せが・・・」
校舎内が結露だらけだったある日の朝。
校長が生徒指導担当の者に
「廊下や階段が滑りやすくなっているので、廊下等を駆けないように放送しなさい。」
と指示を出していました。
本来、学校というものは、将来社会人となった時のために「生きる力」を身に付けて
やるべき所であるはずです。
そのやりとりを聞いて、現代日本が抱える問題が見えた気がしました。
今の学校管理職に要求される能力のひとつが「転ばぬ先の杖を何本突けるか」です。
この場合だと「生徒が転んで怪我をしたときの管理責任の回避」ということになる
のでしょうか?
この放送をすることによって管理職は「自分はちゃんと予防策を打っている。」と
いうアピールができます。
ただ一方子供たちは「こんな時(廊下が結露している状態)に走っては転んで怪我を
するかもしれない・・・」という”自ら考える時間”すら与えられなくなっているのです。
調理実習で指を切っても、それによって次回からは慎重になれる。つまり、失敗して
も良いところ、失敗から学べる場所、それが学校でした。
しかし、現在では、ちょっとした失敗(行司さんが泥酔してチューしちゃった等)にも、
かつては笑い話で済んだような事でさえも、厳しい制裁がますます加えられるようになり、
失敗から学べる場所であったはずの学校で、小さな失敗すらあってはならない事のように
取り扱われるようになってきました。
このようになってしまった原因のひとつには、過去にも何度も述べてきたように、「ア
メリカ的な発想「どんなことでも自分以外の人(組織等)に責任がある。」という考え方の
蔓延があるのです。
例えば、歩道に1cmの突起があり、そこにつまづいて老人が骨折したとします。
少々昔であれば「若いうちだったらさっと足が出て倒れることはなかっただろう」「自分
も衰えたものだ」と自らにその原因を求めたはずです。
ところが最近は「私が怪我をしたのは歩道の出っ張り(過去に何万人も通っていて無事故)
が原因だ!」と自治体に訴え管理責任を問うのです。
その結果、莫大な予算をかけてきれいに再舗装・・・もはや凸凹の泥んこ道が舗装され、
ありがたいと思った感謝の気持ちすら失われている様に感じてしまいます。
先日、世界幸福度報告書2017が発表されました。
幸福度ランキングでは「ノルウェー」が「デンマーク」を抜いてトップ。
我が日本国は51位と2016年度に引き続き低いレベルでした。
こんなに世界の人々が羨むほど平和で豊かな国に暮らしている我々日本人が「幸せではな
い」と思っている(思われている?)事自体、何とも情けない事だと思います。
我々が人生を歩んでいく中で「この先どうしたら・・・」と考える力は、とても大切な能
力となるはずです。未来を考えることは(今の)できるだけ多くの情報を収集し、それを基
に周囲がどのように動いていき、その中で自分がどう動いていったら良いかを考えることで
す。
これからも空手道を通じて、周囲の人間関係等を意識しながら自分の行動を律していく力
を子供たちとともに磨いて聞きましょう。
平成30年4月1日 支部長 重 田 紀 元

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