会報「あすなろ」2018年9月号 「幸せの基準」

過去に何度も述べたことですが、生まれてきたくて生まれてきた人間はいません。

でもせっかく“有史以来最も恵まれた現代日本”に生まれたんだから、幸せになりた

い(ならなければならない)と思うのです。

今の世の中で『幸せ』を実感するためには、ある程度の経済力と幸せを認識する能

力が必要です。前者の経済力については、非常にわかりやすいと思います。後者に

ついては、これまた何度もこの会報で取り上げましたが、これに関しては個人によ

って認識の『基準』が同一ではないので一概に言えないのですが、ある程度のライ

ンがあります。

残念ながら、このラインが極端に低い人間が存在します。

自分が目立つことだけしか考えず、全てのルール・マナーを無視して迷惑をかけま

くっている人、自分の失敗を全て他人のせいにする人、平気で嘘をつける人…など

とは、まともな人間関係を築くことはできませんし、付き合いたいとも思わないは

ずです。もちろん、その人自身は刹那的な快楽は得ることはできるでしょうが、真

の幸せを感じることはできないと思います。

この基準が最初からずれている場合で最も顕著なのが、宗教や教育による刷り込み

です。例えばお隣韓国では“韓国人は美しく貴い民族だが、日本人はルールを守ら

ない野蛮で残虐な民族”という教育による刷りこみがあります。

戦後、何度も友好(修復)関係を築くチャンスがありながら、結局同じことの繰り返

しになってしまうのは「いざとなれば日本人は汚いことをする」という思いが民族

の心のどこかにあるためです。残念ながら中国・韓国(北朝鮮)と日本の関係が、戦

後ドイツとヨーロッパ諸国のように行かないのは、そういった教育による影響が大

きいのです。宗教に関しても、子は生まれたときから親の宗教観の中で育ちますか

ら、物心付く頃には“それなりのメガネ”で、ものを見ることになります。

ただ我が国において、これら宗教や教育に関する問題の影響は、あまり大きくない

と思われます。

現代日本で最も顕著なのが『家庭での教育力の低下』です。かつての日本は「人

の振り見て我が振り直せ」とか「風が悪い(風聞が悪い…つまり世間体が悪いという

意味)」など、社会に一定の基準が設けられていました。しかし現在では『個人の権利』

ばかりが主張され(上記のどこかの国と同じ)『やったもん勝ち』の行為がまかり通るよ

うになっています。かつては一家のご意見番であった祖父母も核家族化で存在のない家

庭も増え、いても年寄り自身が自分の我が儘を通してしまう…、幼い子どもは「恵まれ

ているのが当たり前」で感謝の心など持てない…と、なんとも嘆かわしい時代になって

います。小さいうちから『自分の空間(他人の空間を犯さない範囲)』を認識できない人

間だらけになり、他人の空間と不用意に交わってトラブルを起こすことが増えているの

です。

かつての知り合いに、他人の批判ばかりする人がいました。酒席に同席したことがあり

ますが、人の悪口ばかりでちっとも楽しくないのです。

そこで思いました。幸せの基準って「健康な体がある」とか「人から愛されている」

「向上の喜びを知っている」「自分が誰かの役に立っている」などいろいろなものが考

えられますが、結局一番わかりやすいのは“自分と一緒にいる人間が、心地よく感じてく

れるかどうか”なんじゃないでしょうか?

平成30年9月1日 支部長 重田紀元

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