会報「あすなろ」2019年2月号 「入力 と 出力」
「勉強ができる」と言われる子とそうでない子がいます。
学生の間は『学力(テストで何点取った、何番だった)』が1つの評価基準になり、
それがイコール、その人間の評価そのものになってしまっている場合があります。
ただ、社会に出れば、学力があるというだけでは(TVのクイズ番組などは例外です
が…)ほとんど役に立たないはずです。ただ、親からすれば、初めての親族以外の
評価が学校の学力ですから、多少の学力は身に着けて欲しいと思う親が多いはずで
す。
「学力が低い子」に共通することは「入力の低さ」です。
我々人間の行動は『入力と出力』に分けて考えると理解しやすいことがあります。
私たちが何かを記憶する時、その内容の半分は4時間以内に消えてしまうといいます。
覚えた直後急激に忘れ、それを乗り越えて残ったものは比較的長く記憶されます。
これはエビングハウスの忘却曲線としてよく知られています。

ただこの記憶は、脳の海馬で整理され一時的に保管されているだけで、その期間は長くて
も1か月といわれています。その中から何度も使われるものが、長期記憶として大脳皮質
に記憶として蓄えられます。
ここで重要なのは100%の入力があっても1日経てば33%しか残らないということです。
つまり覚えた量(入力)が50しかなかったら1日後の記憶量は16%しかないということです。
今の学校は『強制力』というものがありません。話を聞く態度(話をしている人の目を見て…)
すら、子どもの自主性に任されてしまうのです。
自主性と言えば聞こえはいいですが、要は指導ができなくなっているのです。
つまり、躾のような基本的生活習慣は、学校では身につけられないということになります。
授業で入力が低く、かつ帰宅しても復習をしない。これで知識が身につくわけがありません。
低学力・低集中力生徒の増加(日本文化を継承する力の減少)は、今後ますます大きな社会問題
となってくると思われます。
一度入力されたものは出力されるのですが、学生はテスト等で紙に書き出すことがメイン
になります。これは出力の対象が人ではなく紙です。つまり何ら人に関わる力の無い人でも、
記憶量によってそこそこの評価を得ることができます。
ところが社会に出るとどんな仕事に就いても人と接しないことはありません。評価は知識の
量ではなく、いかに「自分に与えられた課題をクリヤー(出力)していくか」「どれだけの人間
関係を構築できるか」になってきます。
つまり出力が苦手な人は社会で自分を生かすことができません。
勝つことや楽しさといった結果を追求するスポーツと違って、武道を学ぶ意義の1つはそこ
にあると思っています。道場という形態の中で学校ではできない入力の拡大、出力の仕方などを、
ある程度の強制力(先人が残してくれた方法)を基に身につけることができるのです。
もちろんこれは、親が「我が子に何を与えてやりたいか」という明確な意志を持っていないと成
立しません。嫌なことがたくさんある世の中ですが、それを乗り越え人生の喜びをつかむ力は、
成長期のうちに身につけておくべきではないでしょうか。
平成31年2月1日 支部長 重田 紀元

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