会報「あすなろ」2019(令和元年)年9月号 「食を考える」

“大盛りカツ丼提供中止”“ジビエ料理店大量注文客出入り禁止”と食に関するニュースが続けて報道されました。

両店のお客の共通点は“写真だけ撮ってほとんど食べずに残す”「金を払った時点で自分のもの。他人にとやかく

言われる筋合いはない」という認識です。

前記の食堂の主人は、甲子園球場のすぐ近くで長年に渡り、あまりお金のない高校生達を応援する気持ちで、カ

ツ丼を600円という低価格で、更にどんぶりから溢れるほどの大盛りを赤字覚悟の800円で提供していたそうで

す。

その「盛りがあまりにもすごい」とSNSで話題になりお客が殺到。ところがほとんどの客は、最初から完食す

る気はなく、写真を撮ってちょっとだけ食べて帰る。店主は「一生懸命作った料理を残飯として捨てるのに耐え

られない」と大盛りの提供をやめたと言います。ジビエ料理店の店主も「人間がいただくからこそ、動物の命を

奪っているのに、ただのゴミにするにはあまりにも申し訳ない」と…。

食は命の根源をなすものです。ちょっと前までは、魚を買ってくれば、内臓を取り除き、3枚におろして…が当

たり前でした。ところが今は「臭い」「汚い」と家で魚をさばくことはほとんどなく調理済み(短冊…原型なし)

を買ってくるだけです。野菜だって同様に泥付きなんて「汚らしい」と、どちらも食材から『命』を思い浮か

べる機会はほとんどありません。“食事=エネルギー補給”と考える人が増えているようです。食事が単なる栄養

摂取なら家庭で調理する必要も、一家が顔を合わせる必要もありません。

先日、自称ミニマリスト(必要最低限の持ち物だけで生活している人)の生活が紹介されていました。

コンビニが冷蔵庫代わり」と一切の調理器具を持たず「その分旅行や趣味にお金がかけられる」と言っていまし

た。彼が将来家庭を持って、同じように食費を削り、好きなことだけをする生活をしていったら…。

我が子には、お金を与え「好きな物買って食べてね」…。食事は単なる補給時間ではなく、家族が絆を深める時

間でもあるはずです。

食事をする時に日本人が「いただきます」と言うのは「命をいただくから…」などと学校で教わっても、食事か

ら生物の命を感じるどころか「愛する人のために美味しい料理を食べさせたい」という作る人の気持ちすらわか

らない人間が育っていくのです。

更に食費を削ること(食の軽視)の恐ろしさは“安くて見た目がキレイな物を買う人”を増やしてしまうことです。

虫に食われた跡を「汚い」と感じる人が多いので、大量の農薬が使われます。農薬を使えば使うほど安価な野菜

ができます。色が汚い→着色料、すぐ傷む→保存料…。消費者のニーズに応えるため、大量の薬品が使用されて

います。

今後これらの薬品が人体にどのような影響を及ぼしていくのか、まだ誰にもわからないのです。

空手を単なるポイント取りのスポーツとして捉えず、武道と考える意志が持てると、江戸時代末期に日本を訪れ

多くの外人が「世界で最も素晴らしい民族」と称えた日本人と日本の文化の素晴らしさも見えてきます。

その素晴らしい日本文化を再認識し後世に伝えていくためにも、生き方を学ぶ空手にこだわり続けていきたいと

思います。たまには自然の(旬の)食材を使った、ちょっと手間のかかる料理を子ども達と…も楽しいものだと思

います。

食事の時、(命を)「いただきます」「ごちそうさま」言っていますか?

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