会報「あすなろ」2020(令和2年)年5月号「またまた 武(士)道的生きかたを考える。」
1862年に起こった生麦事件。
島津久光の大名行列を(乗馬のまま)汚したと4人のイギリス人を殺傷した事件です。
この事件は不平等条約の下、賠償問題がこじれ薩英戦争にまで発展、後の日本の開国
・文明開化のきっかけにもなりました。この時薩摩武士のとったある行動が西洋社会に
「日本人は野蛮で恐ろしい民族」というイメージを定着させました。
切りつけられ落馬し息も絶え絶えだった英国人に(助けるどころか)とどめを刺したの
です。今の日本では、多くの人がこの武士のとった行動を理解できないでしょう。
当時西洋と日本とでは『死(生)』に対する大きな意識の差がありました。生物である
限り、永遠の命を持つものはいません。つまり人間(生物)は必ず死ぬのです。ですから
日本人は“死=そこで死ぬべき運命(寿命)”と考えていたのです。(何度か話題にあげまし
たが)日本人は『美』をとても大切にしています。その思いは人間の最期の瞬間にまで及
びました。
人が死を恐れるのは『今』を失うことへの恐怖も大きいと思いますが、やはり「痛い」
「苦しい」といった、死を迎える時(まで)の物理的な苦痛が大きいと思います。
“苦しむ姿が美しくないと判断されたか”は分かりませんが、切腹という(美の)作法の中に
苦しませぬための介錯が生まれました。冒頭の武士の行動も、助からないと判断したその
瞬間に「苦しみが続かぬようにしてやろう」という『武士の情け』によるものでした。
日本人が“異様なまでに命が大切”と思うようになったのは、アメリカ占領下でのGHQ
の教育のたまものであることは何度も紹介した通りです。
今の日本では“人は理由なく死んではならない存在”なのです。ですからコロナウイルス
が理由(原因)と分かると、死なないために原因を取り除くことに躍起になるのです。
今の日本では「誰が(命の)責任をとるんだ」の一言が何よりも強い言葉になっています。
「責任あり」となれば(金銭的にも精神的にも)莫大な賠償責任を負わせられるのです。
ですからこの言葉を言われないために、ありとあらゆる機関が膨大な労力を払う国になっ
てしまっています。そのお陰か2018年の調査でも平均寿命84.3歳で、世界一の長寿国と
なっています。“命を大切にする国日本”としては誇らしい事でしょう。
しかし、健康寿命の平均は74.8歳にとどまっています。平均寿命と健康寿命の差が約10
年ということは、日本人は要支援・要介護で10年近く生きなければならないということにな
ります。延命(とにかく心臓を止めない)治療で平均寿命が延びるたびに医療費は増え続け、
今後も国の財政に大きな負担をかけていくことは明らかです。
誰もが長生きをしたいと思うはずです。でも10年も病院のベッドの上で(体中に管を差し
込まれ寝たきりの状態で)生きることを望む人が、そんなにたくさんいるでしょうか?
私は50歳(昔は人生50年でした)を過ぎた頃から“この平和な時代の日本に生まれ・活かさ
れていること自体がとても幸せなこと”と感じるようになりました。
死を恐れるよりも、死を迎える瞬間に「いい人生だったな~」と言える人生にしていこ
うと考えるようになりました。
個人的には、今後の医療は“延命ではなく、恐怖や苦痛を取り除いてくれる方向”に向かっ
て欲しいと思いますが…。
先日40歳で安楽死を選んだベルギーのパラリンピックの金メダリストは「いつでも死ねる権利
を手にしてから、人生が充実した」と言っていました。常に自らの最期を意識することで、
1日1日の生活を大切にしたいという意識が高まったのです。
私たちも、たまにはそんなことを考え(心と体を鍛え)日々『笑顔』で生活していきたいも
のです。

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