会報「あすなろ」2021(令和3年)年7月号「平等とは」

4月号裏面で、今の日本が求めている(?)平等意識について疑問(不安)を呈しました。

特に“エリート(金持ち)は敵だ”的な発想が蔓延していることには恐怖すら覚えるのです。

それは、かつて『原始共産制(階級不要、皆平等。食べ物は皆で作って、皆で分け合おう)』

の実現を目指した(?)ポル・ポトにより“首都の住民全員を農村に移動、反対する者・できない

者は全て殺害”皆で分けるからお金は不要と“貨幣を廃止”さらに“学校や病院、宗教も廃止や禁

止”自分達以外、知識ある者は理屈を付けて反対するからと“医者や教育関係者を全員殺害”

“海外留学中の人も嘘の理由をつけて母国へ呼び戻し殺害”その結果300万人以上という国民が

虐殺されました。

カンボジアが平和な国に戻った時、最も困ったのが“何かやろう(復興)とした時、それができる

人材が全くいなかった”というのです。

これは本当に極端な例かもしれませんが、今の日本で一部の人間がポル・ポトのように国民の平等

意識を利用し、国民の総白痴化を目指しているのではないか?という思いさえ抱いてしまうのです。

島国で独自の文化を創り上げた日本は、言葉による意思の表明より、相手の心を忖度していく文

化が発達していきました。例えば、韓国に行ったときのこと…銀行の駐車場に、どんどん(車の)頭か

ら突っ込んでいく人達、案の定用事が終わって帰るときになって、自分の車が出られず、怒鳴りあい

になっている様子を見て「日本人なら相手が出るときのことを考え(忖度し)て駐車するだろうに」と

思いました。

だからこそ日本では、無用な争いは起こらなかったのです。

ところが近年…、ある社長さんがこんなことを言っていました。いつものように銀行に行くと、行員

さんが「どうぞ」と言って用事を済ませてくれたそうです。

ところがその次に行ったら「順番でお呼びします」と言われました。「どうしたんだ?」と尋ねたら

「お客様からクレームがありまして…」と。

『お得意様』という言葉がありますが、1000人に1人とか「1億円預けている人と、1万円預けてい

る人を同じに扱え」という人がいるのです。以前はそういう人は相手にされませんでした。ところが現

在はSNSの発達により、数千分の一、数万分の一の意見が、あたかも正論のように取り上げられ、それ

が通ってしまう(それが恐ろしい)ようになりました。商売をしていれば、自分の所に利益をもたらして

くれる『お得意様』を大切にするのが当たり前です。好待遇を期待するなら、自分がお得意様になれる

努力をすればいいのに、自分は何もしない(できない)のに批判だけは一人前。

先日も“コロナワクチンを市長をはじめ市の職員が、市民より先に打った”とニュースで叩かれ「廃棄

されてしまうワクチンだった」などと市長が弁明する姿が放映されていました。市に何億円も寄付をし

ていた会社の社長夫妻に「一足先に打ってもらおう」とした市が、同様にマスコミに叩かれていました。

一生懸命市民のために働いている人が、何もしていない人よりほんの少し早くワクチンを打つことを許

せない人が、そんなにたくさんいるでしょうか?

マスコミの報道は、何をどうしたいのでしょうか?「ワクチンは平等に」とコメントを出した河野大臣

は「失敗だった」と『平等発言』に対して反省の弁を述べています。

今後日本はどうなっていくのでしょうか。できれば『日本の心』は失って欲しくありません。

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