令和4年4月号 うら面「結局『命』の問題に…」
「絶対コロナにかかりたくありません。死ぬなんて怖すぎます」
こういう人に私は「心配いりませんよ、どんな人にも必ずお迎えは来ますから」と答えます。
「不謹慎だ」という人もいるかもしれませんが、死なない人はいません。というより“人間(生
物)は必ず死ぬもの”だと思っています。以前述べたように寿命というのは、コップに残った水
の量のようなものです。ある人は「もうこれだけしかない」と感じ、失ったものの大きさを嘆
きます。またある人は「まだこれだけ残っている」と、残りの活用法を模索します。どちらの
考え方が幸せなのでしょうか?
我が国では「どんなに辛くても、苦しくても生き続けなければならない」という思想(これは
“GHQによる命の教育”の影響が大です)があります。これに従い、医療も“心臓を動かし続ける事
(延命)を最大の目的”としています。意識のない老衰患者に、点滴+透析さらにペースメーカーの
手術(外科医の技術向上の手段としての意味も…)まで行われたり、末期ガンの患者が苦しみ抜い
て亡くなっていくのが、日本の死のイメージです。死には生が失われる(その先が全く見えない)
恐怖に加え、ほとんどの場合、痛み、苦しみが伴います。痛い苦しいを耐えたら、また「元気」
になれるなら分かりますが、耐えた先が「死」なら、その期間は短いほど良いと思うのです。
胆嚢除去手術を行った際、麻酔で瞬時に意識を失った時「こうやって死ねたら、何の痛みも感じ
ない。安楽死とはこんなもの?」と真面目に思いました。安楽死なんて不謹慎だ、と議論にもな
りませんが「痛い」「苦しい」思いを長期間耐えながら死んでいかねばならない明確な根拠など
ありません。
現在日本の平均寿命は、およそ男性が81歳、女性が87歳(令和元年)で、健康寿命(日常的に介
護などを必要とすることなく、自立した生活を送れている年数)は男性が73年女性は75年だそう
です。つまり男性が8年女性が12年は、何らかの介護が必要となっているといえます。前記の莫
大な医療に加えて、介護にも膨大な費用がかかってきます。現在、65歳以上の高齢者1人を2.2人
の15~64歳の現役世代が支える構図だそうですが、2060年には、65歳以上の人1人を支えるた
めに必要になる現役世代は1.3人になるといわれています。これはもうどう考えてみても『不可
能』です。ホントに多くの日本人が、そんな『最期(莫大な医療費をかけ、長時間苦しみに耐え
たあげくの死)』を期待しているのでしょうか?さらに、ここ2年以上の間の、コロナ対策で、
莫大な経済損失があり、日本経済は数十年後の破滅に向かって突き進んでいます。
昨年のあすなろ7月号の裏面で、自治医科大学の教授の話を載せました。
「暴言メール」と批判が殺到(少数意見をさも大勢のように報道)しましたが、教授は『学生の戯言』
を一喝。以後誹謗中傷も収まりました。僅かな(知識のない)人間の感情にまかせた発言におびえ、転
ばぬ先の杖という予防線に膨大な労力とお金をかけている日本ですが“何か言われても”正しいこと、
筋の通ったことであれば、なんの問題も起きない”のです。ただ、時々○○の市議会議員が、マスク
をしないで「議会に出席した」「飛行機を遅らせた」というニュースが報道されます。彼らの言って
いることは『ほぼ正論』です。しかし、これだけマスク着用が定着してしまったら、公人としては、
むやみな争いは起こすべきではありません。とはいえ、人気のない所を散歩している人がマスクを
していたり、という姿を見ると、何も考えずTV(政府)の報道を鵜呑みにしているロシア人と同じ
『恐ろしさ』を感じてしまうのです。
私は空手のお陰?で“人から何か言われたら、どうしよう”と思うことがなくなりました。
人の目を気にして「何か言われたらどうしよう」と考える人生を(多くの国民が)終わりにしたら、
どれほどこの世の中が変わってくるでしょうか。
子どもたちは進学・進級し、また新たな1年を歩み始めます。さらに稽古を積んで、堂々とした
『自分』を作っていって欲しいと思います。

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