令和5年1月号 うら面「希望は見えるか?」

昨年末あたりから、保育園での幼児虐待の報道が増えてきました。

報道は「とんでもないことだ」と、強い論調で保育士や管理者の責任を追及しています。

さらに保護者が憤慨して園の関係者を非難している映像(保育士を擁護する意見はカット)

が流されています。実際どれだけの『虐待』が行われていたのかと、監視カメラの映像を

見てみると、保育士が“食事の姿勢が悪いので、後から頭を押した”とか“暴れてみんなに迷

惑をかけた子が、掃除用具置き場に閉じ込められた”…。

報道された映像から判断する限りでは『暴行』というには、あまりかけ離れた感じがします。

生まれながらに正しい行動ができる人間はいません。みんな日々の生活の中で、少しずつ

善悪を判断していったり、公共のマナー等を学んでいくのです。その中で特に大切なのが、

家庭内での『躾』です。かつては幼稚園に上がるまでに、基本的な生活習慣は身につけてい

るのが当たり前でした。しかし現在は、核家族化、夫婦共働き等によって、家庭内での教育

(躾)はむずかしくなっています。0歳から保育園に預けられる子も増えてきています。言葉

の意味が理解できない幼児が、危険な行動、周囲に迷惑をかける行動を取った時には、ピシャ

リとおしりを叩く程度の(躾の)行為は不可欠だと思います。

私が教師になった頃は、体罰に関して騒ぎ立てる親は、ほとんどいませんでした。どちらか

と言えば「うちの子が悪さしたら、遠慮なくぶん殴ってください」という親の方が多かったで

す。こう書くと、先生方は安直に叩いていた?と思われそうですが、叩く方からすれば、自分

の判断が間違っていたり、怪我をさせたり、子どもが納得できなければ、単なる暴力。子ども

たち・職員間でいろいろと話し合い「何がベストか」「どうすべきか」を常に考えていました。

過去にひっぱたいた(叩いた)生徒の何人かに、成人後誘われ、何度か一緒に酒を飲みました。

しかし、ここ数年で担当した生徒たちは、深く関わることがなく名前すら思い出せません。

“この子の未来のために、今何とかしなければ…”等と、熱血教師になって、生徒の胸ぐらでも

つかんでしまえば、即「暴力教師」で訴えられてしまいます。注意しても「うるせえな」。

家庭でまともな躾ができていない生徒とは、人間関係を築くことすら難しい時代です。理不尽

な親が、訳の分からない苦情を申し立てて(かつては、管理職が「お父さん、あんたの言ってい

ることはおかしいよ」と説教して帰した)きても反論はせず、事を荒立てたくないと何時間もか

けてガス抜き。これじゃ、心を病んでしまう教師が増えてしまうのも当然です。

見守りカメラが、監視カメラになり、躾行為を『暴行』と言われ、保護者が怒鳴り込んでくる。

マスコミも保護者も関わった保育士、管理者の責任を追及し、たくさんの保育士が退職をしていま

す。保護者の何人かは、鬼の首を取ったように、制裁を加えたことに満足しているかもしれません

が、結局我が子を看てもらう環境を一時の感情で破壊してしまっているのです。子どもが好きで、

使命感を持っている保育士ほど働けなくなる環境。これが本当に、私たちが求めている社会なの

でしょうか?

今年は裏面の『愚痴』は辞めようと思っていましたが、新年から何ともむなしい内容となってし

まいました。しかし、こんな社会だからこそ、自信を持って生活し、我が身を守って行ける力(肉

体的強さと精神的な強さ)を身につけていくべきだと思うのです。

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