会報「あすなろ」2025(令和7年)8月号「このまま行くと」
先日“理科の実験で硫化水素を発生させた時、5~6名の生徒が体調不良を訴え、病院に運ばれ(即退院)た”という報道がありました。化学変化(原子同士が結合したり、結合が切断されたりして、全く別の物質が生まれる変化)を見るために、(中学)2年生の授業で“鉄と硫黄を混ぜ、加熱すると硫化鉄が生じる”という実験を行います。硫化鉄ができる前(鉄と硫黄を混合したもの)と、後の物質(硫化鉄)に塩酸を加えると、硫化鉄の方だけ、独特のにおいのある硫化水素が発生します。
私たちが日常の生活の中で、出遭う可能性のある『毒ガス』が3つほどあります。それが①一酸化炭素、②塩素、③硫化水素です。①は、閉め切った部屋で長時間暖房を使用していると発生する可能性がある無色無臭のガスです。②は、水道水の消毒(細菌を殺す)で使用されています。お風呂やトイレの洗剤に『混ぜるな危険』の表示があるように、塩素系と漂白系の洗剤を混ぜると発生し、独特の刺激臭(カルキ臭)があり、ガス自体が黄緑色をしています。③は、温泉地(下水管の中でも)で、よくお目にかかるガスで、独特の刺激臭(卵の腐った臭い)があります。
実験によって少量のガスを発生させ、その特徴を肌身で感じることは、しっかりと記憶に残り、将来それらのガスに出遭ったときにも、適切な対応が取れるようになるのです。実験を行う場合は、換気をしっかりして、発生量も微量に調整します。それでも、クラスに1人や2人は「先生、気持ちが悪いです」と言う生徒がでます。通常「外に出て深呼吸をしなさい」といったレベルで落ち着きます。しかし、ここで先生が慣れていなかったりすると「たいへんだ」となって救急車を呼んだりするのです。先生が「毒ガスだ」と、あまりに神経質になってしまうと、生徒の側にもそれが伝わって、実際以上の異常を感じてしまうのです。そして、こういったニュースが流される度に、実験をやらない学校が増えていくのです。
ただ、こういった傾向は、最近に限ったものではありません。かつて校外学習で、飯盒炊爨を行ったとき、ある生徒が飯盒をつるしてあった鉄棒を触って、軽いやけどをしました。私は「火であぶられているのは、飯盒だけでなく鉄棒もあぶられているので、熱いのは当たり前、1つ学習したね」と言いました。生徒も保健の先生に見てもらった後「やっぱり熱かったです」と笑いながら、報告に来ました。ところが、その夜校長から「何で生徒にやけどをさせるんだ」と叱られました。「軽いやけどですよ」と言うと「怪我をさせたこと自体が問題なんだ」と言われました。上に立つ人間が、これじゃ世の中良くなる訳がないよな…と、当時寂しい思いをしました。かつて学校は失敗から学ぶ(失敗しても良い)場所でしたが、今は失敗してはいけない所になってしまったようです。近頃の世の中は、ますますこの傾向が強くなり、政治家など、ちょっとした失言で「辞めろ、辞めろ」の大合唱です。
空手は、当たれば痛いこともあります。だからといって「うちの子に痛い思いをさせないで」と言う親はいない?はずです。ゲームの世界では、相手も自分も少しも痛くありません。だから簡単に人を刺したりしてしまう事件が起こってしまうのです。組手をやる中で“どのくらい強さがどれだけ痛いのか”が分かってくるからこそ、人の痛みも分かるのです。
誰のお陰?
テストで「○○さんが100点取った」なんて聞くと、必ず「あいつは頭がいいからな~」と言う人が出てきます。同じように「○○が、大会でメダルをもらった」と聞いた時も「あいつは運動神経がいいからな」と思う人がいるのです。先日、ちょっと稽古を早く終えて、みんなの前で「誰のお陰?」という話をしました。「あいつは頭がいいから」とか「運動神経がいいから」などと言う人ほど、他人の努力を見ていないし、自分自身も勉強や稽古に熱心でないのです。
道場の稽古を、ほとんど休まない道場生が6人ほどいます。中でもTや君とHなた君は“言われた基本を忠実に実行しよう”としています。空手の基本動作は、日常の動きと(筋肉の使い方・重心の崩し方等が)微妙に違うところがあります。ですから、最初から上手くできる人はいません。大抵の人は、何となく近い動きでごまかしてしまうのです。彼ら2人は、決して運動神経が優れている、という訳ではありません。でも毎回毎回“基本の動きに近づこうとする努力”をしているのです。そして、その努力が最近少しずつ報われてきているのです。突きは正確さとスピード、強さを増してきています。蹴りまだまだ改善の余地がありますが、必ずその努力は報われるはずです。強くなるには、それなりの理由があります。そしてそれは、本人の努力の賜なのです。そうです「誰のお陰」の第1は努力した本人のお陰です。
では、小学生や中学生が夜稽古に1人で通ってこられるか?道場の会費や試合のエントリー費、防具のお金を自分で出せるか?と考えれば、当然のように親の存在があります。我が子のために、忙しい時間を割いて送り迎えをしてくれたり、一生懸命働いて得た収入から、必要な経費を出してくれたり…となれば「誰のお陰」の第2は親のお陰です。
人間とは弱いものです。“たった1人で黙々と稽古に打ち込める”という人はほとんどいません。「この姿勢辛いな、手を抜いちゃおうかな」と思ったとき、隣で頑張っている仲間がいたら「もう少し辛抱してみよう」と思えるのです。空手道を学ぶという共通の目的で集まった仲間、この存在なくしては稽古を継続していくことはできません。「誰のお陰」の第3は仲間のお陰です。もちろん技を正しい方向に導いてくれる指導者の存在も不可欠です。このように、たくさんの人のお陰で自分が稽古することができ、強い人間になっていくのです。このことを忘れて、単に技だけが上達しても、それは単に(暴)力の強さを得ることと何ら変わるところがありません。
この話のあと、高い運動能力を持ったRきち君は、基本の取り組みが変わってきました。きっと彼は、これからもどんどん強くなっていくと思います。「自分はできている」こう思った途端に、人間は成長を止めてしまうのです、武道というのは終わりがないのです。私自身も未だに、まだ『上』を目指しています。先日、Rきち君は、見学者のために(自分の判断で)折りたたみの椅子を差し出していました。こういった心遣いができるところに、武道家として心の成長も感じます。

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