会報「あすなろ」2026(令和8年)1月号「新たなる一年を迎えて」
あけましておめでとうございます。暮れには、保護者の皆様と、忘年会という形で、いろいろなお話をすることができ、有意義な一時を過ごすことができました。日常の稽古の時間では、なかなか皆様とゆっくりお話をすることがありませんので、このような機会をきっかけにして、指導者と保護者の皆様の距離が少しでも近づき、今後の指導の役に立っていければ、と思っています。
「一年の計は元旦にあり」と言います。私事で申し訳ありませんが、今回は私個人の目標を語らせていただきたいと思います。昨年の全国大会で審判を務めていた時に「来年は、このコートに選手として立ちたいな」と感じていました。70歳以上になると、組手の試合はありませんから、型の部に出場することになります。大会に出場する意味として「今の自分の力を知る」ことが一番だとは思いますが、どうせ出るなら、やはり「優勝を狙いたい」という気持ちも当然あるわけです。常に子ども達に言っているように「2回戦を勝ち残る力が付けば、どんな大会でも優勝する可能性がある」というのが私の持論です。ですから、(エントリー費もかかりますので)どうせ試合に出場するなら、それだけの力を付けて臨む方が良い(勝てなくても、試合には出た方が良いという考えもあります)と思っていました。
これも以前述べたことがありますが、型の稽古を続けていくと、好きな『型』というのが出きてきます。SKIFの型は26個、私は「観空小」という型が好きになり、よく稽古をします。この型は途中に2回ジャンプするところがあります。若い頃は軽々とできたジャンプも年と共に筋力の衰えを感じるようになってきました。型の試合で、一番評価を落としてしまうのが、フラつきです。ジャンプし回転着地するところは、とてもフラつきやすいのです。
試合で優勝を目指すなら、なるべく確実に点を取れる型を選ぶべきだと思います。髙浦・龍崎両氏に意見を聞いても「観空小」よりは「壮鎮」の方が安全だと言われます。ここで再び、この会報でいつも言っていることを考えてみました。それは『幸せ』です。好きなことをやって失敗することと、さほど好きではないことをやって成功することと、最終的にどちらが幸せを感じるでしょうか。私は“好きなことにチャレンジすること”の方が、大きな幸福感を得られるのではないか、と思っています。
高校(大学)等の進路選びでも同じです。世間一般で名の知れた学校(俗に言う一流校)を目指していくのも1つの生き方だとは思いますが、他人の評価より、自分がやりたいもの、やって楽しいものを学ぶために学校へ行く。長い人生を考えたら、どちらの選択肢が人生の幸せをつかめるかは、(もちろん本人の努力にも依りますが…)分からないのです。
なので大会では「観空小」を演武しよう(予選で負けてしまえばそれまでですが)と思っています。2回のジャンプ、それを成功させるために、筋力アップを目指す。という努力を経て、好きな型で試合に臨んで優勝を目指して行こうと思います。今年の前半は、多くの道場生と共に、8月の全国大会の舞台に立つことを目指して、稽古に励んでいこうと思います。
今年1年が、皆様にとって素晴らしい年になりますように…
ほんのちょっと の補足
昨年の11月の会報の裏側で“ほんのちょっと努力するか、サボってしまうかで、人生に大きな差が出る”という考えを述べました。この話は、忘年会のおりに話題に出して、補足の話をしました。忘年会に参加しなかった方にも、共有して欲しい話題だと思いましたので、ここで、もう一度述べたいと思います。
現代の文明は、ある意味“人間が動かなくていい(楽ができる)方向”に向かって進歩しているように思います。文明の進歩は、人間の持つ能力を衰えさせてしまう場合があります。衛生環境の向上は、人間の免疫機能を確実の低下させていますし、エレベーターや車による移動は、筋力の低下を促進させています。
日常生活の中で、ほんのちょっとした動きを、敢えてするか、サボるかの違いを2つの観点で見てみます。
1つは自分自身のため。醤油瓶のふたをちゃんと閉めない時に限って、倒して大惨事になったり、使ったものを元に戻す手間を惜しんでそのままにして、次に使おうとした時、見当たらなくて何分も探し回ったり…。靴のひもを結ぶのが面倒だから、立ったまま履ける靴が売れているといいます。でも、自分の足に合わせて、しっかりひもで調整した方が、ズレがなく遙かに動きやすいはずです。身障者用のスペースに車を停めて「得をした」と思う人より、ちょっと離れたところに駐車して(胸を張って)スタスタ歩いた方が、健康にいいし、何より気持ちがいいはずです。
もう1つが“みんなが気持ちよくなるため”です。靴やスリッパを脱いだ後、ほんの少しの手間を加えて揃える人と、脱ぎっぱなしでいく人がいます。トイレなどに入った時に、きれいに揃っているスリッパを見ると、前に使用した人の“きれいに使いました”という心が見えてきます。ゴミをポイ捨てする人と、(自宅などの)ゴミ箱まで持っていく人、ゴミを投げ捨てる人は(例えば恋愛で、燃え上がっている時はいいのですが、冷めてしまえば)、平気で人間も捨てる人なのです。人生の伴侶を選ぶ時、こういった視点を持つ差は大きいはずです。昨年、会費の袋を開けてお金を取り出した時、たった一度(9月でした)だけ、全ての袋のお札の向きが揃っていたことがありました。お金を入れる時、お札の向きを揃えて入れる人は、相手がお金を取り出す時のことまで考えているのだと思います。そういう人は、確認の作業が入りますから、入れ間違いというのもなくなってきます。
ほんのちょっとの動作の先に、相手の姿が見えてくると、自分の動作にも変化が出てきます。みんながそのようになったら、世の中、とても過ごしやすくなるのではないかと思うのです。
ほんのちょっと、ができるようになると“やるべきことが、やるべき時にできる”ようになります。

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