会報「あすなろ」2022(令和4年)年4月号「なにか言われる。」
2月実施予定だったスポーツ少年団の交流会が、コロナの影響で中止になりました。
この交流会の話し合いの中で、ある役員から「コロナ禍の実施で、もし感染者が出てしまったら
絶対何か言われますよ」という発言がありました。この不特定少数の誰かに「何か言われるから」
という馬鹿げた言葉が、今の日本の『基準の一つ』となってしまっているのです。
学校の近くに越してきて「放送の音がうるさい」「砂埃が飛んでくる」等々…苦情を言ってくる
人がいます。かつてはそういった発言は相手にされませんでした。ところが、おもしろ映像(個人の
意見)を公に発信し、影響力を与えるユーチューバーという職業が認識されるようになった頃から
『個人から公に』という発信が、容易に行われるようになりました。これにより無名の歌手(以前は
芸能界に縁もゆかりもないと、楽曲を発表する機会さえ与えられなかった)が“ネットで発信、一躍有
名になる”という夢物語が現実となりました。このように“多くの人にチャンスが与えられるようにな
る”というプラスの面もありましたが、SNSの匿名性を利用した『誹謗中傷』も、あっという間に広
がっていくなど、大きな社会問題にもなっています。良くも悪くも、個人の発言が容易に大勢の目に
触れるようになると、日本の社会は“理屈が正しいか正しくないか”というより“騒がれて(後ろ指を指
されて)はいけない”という考えを選択するようになりました。
そのため学校では、放送設備を使わずハンドマイクを使い、風の強い日には大量の水を撒くように
なりました。「少数意見を尊重する」といえば聞こえは良いですが、1人や2人の苦情のために、大
勢の生徒に不便を強いたり(教育効果の低下)、多額の出費(水道代=税金の無駄遣い)をする羽目になって
いるのです。
今の世の中で、恐ろしいのが『洗脳された民意』(まさに今のロシア国民)です。「無知は偏見を生み、
偏見は差別を育てる」という言葉があります。科学的、社会的(道徳的)知識が乏しい人間が何かを判断す
る時、その判断基準は『感情』になります。“自分にとって心地良いか悪いか”です。感情により発信され
た判断は、ネット社会の中で(騒がれないように)と忖度され拡大していきます。感情というその場限り
の判断に、将来の展望はありません。
コロナ問題などはその典型です。どれだけ愚かな行為が、まかり通っているでしょうか。
伝染病の原因となるウイルスや細菌を0にすることなど不可能です。大切なのは、その病気に対しての
治療法が確立されることです。かつて死の病だった、結核やインフルエンザも、現在では、それに感染し
たからといって大騒ぎをすることはありません。コロナもワクチンの接種、経口薬の登場、オミクロン株
により、重傷者の数は激減(入院患者の約半数は基礎疾患の悪化が原因)しました。ところが日本では、毎
日の感染者数(死者数)を大きく報道し、恐怖を煽り続けています。日本初のオミクロン株による死者は80
代の基礎疾患のある人でした。毎日3,000人以上が死んでいく中で、たった1人の死が大々的に報道され
たのです。
コロナ禍による日本の経済損失は計り知れません。命の問題を話題にすると、必ず「何を言われるかわ
からない」と議論すら起こせません。90歳過ぎの老衰患者に、際限なく延命治療を施すことは、本当『救う』
ことなのでしょうか。こういった患者にかかる費用は 、1人年間1100万円以上だそうです。これらは、若い
人が未来に支払わなければなりません。

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