会報「あすなろ」2022(令和4年)年7月号「貧乏自適 …」

20年近く前、仲間3人で居合道の先生に弟子入りをしました。

当時は道場もなく、店舗の空き部屋を借りたり、学校の武道場を借りたりと稽古に励みました。

居合道を始めてから、江戸時代の武士の生活(武士道)や庶民の生活に興味を持ち、調べたことが

あります。それによって“第二次大戦後のアメリカ占領下における『教育』によって植え付けられ

た白人至上主義”の影響により“日本文化は欧米の文化より劣っている”という思いから脱し、失わ

れつつある『古き良き日本』の素晴らしさを再認識することができました。

会報で、何度か触れたことがありますが“何が何でも命が大事”、末期がん等で意識がなくても、

膨大な医療費をかけ心臓を動かす(命を延ばす)という考え方も、米国教育が日本において昇華(?)

されたものの1つです。先日、立て続けに60代の芸能人が自殺しました。どの報道をとっても“大

切な人を失う悲しみ”を前面に打ち出し(命の相談窓口を紹介)て、命の大切さを訴えていました。

しかし、いろいろな批判を浴びることを承知で言わせてもらえば、60年以上も人生を過ごしてきた

(人生の様々な出来事を経験している)人間が『死』を選択しているのです。もちろん鬱病のような

病気が原因の場合もあるかもしれませんが、10代の若者が自殺するのとは、意味合いが違うと思う

のです。ある報道で、最後の別れをした人が「安らかな顔をしていたのが、せめてもの救いです」

と語っていました。本人は亡くなっているので、本当のところはわかりませんが、最期の選択で救

われたのかもしれません…。

戦前の日本人は“命の長さよりも、命をどのように使っていくのか”ということをメインに考えて

いたように思うのです。私も『武士道』を学んでから、人間は必ず死ぬものだから、死にたくはな

いけれど、死ぬことは仕方ない。いざ死が訪れた、その時には「いい人生だった」と言って死にた

いものだ、と思うようになりました。どんなお金持ちであっても、必ず死は訪れ、あの世に持って

行けるものは何もないのです。

若い頃は「あれが欲しい、これが欲しい…」と欲しい『物』がたくさんありました。

しかし、人生も残り時間の方が少なくなってくると、形ある物に対する執着心は、年々薄れてきま

した。確かに高価なものは魅力がありますが、それがなくても十分幸せな毎日を送れるのです。

いつだったか会報で、石庭で有名な京都の竜安寺のつくばい(手水鉢)に記された「吾唯足知(我た

だ足るを知る)」の話を紹介したことがありますが、まさに気持ちは、江戸時代の人たちと同じ

“7割を「3割足りない」と不満を言うのではなく「7割もある」と満足できる心を持つ”ことで

す。毎日欠かさず「今日も幸せだった」と、言ってから寝る習慣も、そんなことから生まれたも

のです。

戦後、豊かな国アメリカによってもたらされた、“物質の量によって幸福を計る”という考え方

は多くの日本人に染みついています。しかし世界は、地球資源の有限性が認識されるようになり、

今ではSDGs(持続可能な開発目標)という言葉が盛んに使われています。

稽古を終えて正座した時、体から発せられる熱気が、何とも気持ちがいいのです。この心地よさは、

お金では買えない気がします。とにかく健康な心と体を維持できれば、そこそこの幸せは手に入れら

れそうです。悠々ではありませんが『貧乏自適』も悪くありません。

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