令和4年10月号 うら面「試合」

スポーツと武道については、過去何度も話題にあげました。今回は試合との

関係を見てみようと思います。スポーツと試合は切っても切れないものです。

(参加費を払って)試合に出る価値について考えてみると、2つあると思います。

1つ目は①“勝利を得ること”です。これは本能に直結する喜びで、最もわかり

やすい価値です。どんなスポーツでも騒がれ、憧れられるのは『強い選手』で

す。観客が高いお金を払ってまでも試合を見に来るのは“強い選手の、素晴らし

いパフォーマンスが見たい”からです。また『勝ち』は己の成長(強さ)が実感で

き、周囲(特に家族)の人にも喜びを味わわせてくれます。

2つ目が②“緊張という普段では味わえない体験を得るため”です。

かつては、子どもの頃から学校で「前に出て発言しなさい」などと、半強制的に

先生にやらされる、ということがありました。ところが現在は、生徒が「恥ずか

しいから嫌だ」となれば、強く言われることはありません。そして(弱い心のまま)

社会に出る時がくるのです。学校を卒業して、いざ就職となった時「恥ずかしいか

ら…」「やりたくないから…」は通用しません。人間関係でも同じです。全ての人

が、自分にとっていい人ではありません。そんな中で、自己を発揮できず、引きこ

もりになったり、鬱になったりで仕事が続けられない人が増えています。

①について、私の経験をお話しします。空手を始めて4~5年して、なんとか試合に

対応できるようになりました。空手を始めたのが20代半ばでしたので、肉体的なピー

クは過ぎていたかもしれませんが、運良く木更津市の大会で2回優勝できました。

ただ県で優勝を狙えるレベルではない(①の目的は達成できない)ので、以後試合には

出ませんでした。それから約20年、こつこつと(基本中心の)稽古を続けました。

自分で言うのもなんですが、出席率はずっと一番だったと思います。50歳になって

“空手に出会った証に”と國際松濤館のシニアの部に出場しました。出場者の中には、

かつて世界大会に出場した選手(彼は若いうちに引退し、指導者となり自分の稽古量

は激減)もいましたが、私は稽古を続けていたので(もちろん運もあり)優勝できました。

翌年も出場し準優勝。それ以後は、世界大会に出るだけでなく、稽古も続けている

「S原やK藤」といった有名選手が同じカテゴリーに上がってくるため、以後試合には

出ませんでした。もちろん稽古は続けていました。そして、60歳になった時再び試合に

出場し優勝しました。つまり①の喜びを得るために試合に出るのなら、それなりの(姑

息な?)勝算があるべきだと思っています。私が4つの大会(木更津市、SKIFの全国大会

・関東大会・千葉支部交流大会)以外の参加を推奨しないのは①目的で参加できるだけのレ

ベルになった生徒が、まだあまりいないと思うからです。

②の目的であれば、あまり遠方まで、そして年に何回も参加する必要はないと考えてい

ます。

ただこの思いは指導者の中で統一されていませんし、する必要もないと思っています。

なるべくたくさんの試合に参加させたい(①の目的も含めて)と思う指導者もおり、その

考え(勝つには慣れも必要)も理解できるからです。ですから試合の案内は、その都度皆

さんにお伝えしています。

私が多くの試合に参加することを推奨しないもう1つの理由が『全空連ルール』です。

蹴りなどは頭の近くに足が上がっただけで3ポイント。形試合でも変な?気合いが要求

されたり?と、試合に勝つにはルール(届かない突きでもポイント)をうまく生かすこと、強

さに加え『上手さ』が求められます。小手先の技術を学ぶことが、空手を学ぶことだと

は思わないのです。もちろんある程度のレベルになれば、どんなルールにも対応できる

でしょうが…

試合の参加不参加はあくまで保護者の考えで結構ですが、できる限り4つの大会には参

加をお願いします。全く試合に出ないのであれば、空手を学ぶ意義も薄れてしまいます。

なお4つの大会以外は、基本的に指導者は同行しません(指導者の都合が付く場合はしま

す)ので、保護者の責任で参加をお願いしています。

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