会報「あすなろ」2024(令和6年)年7月号「短気は損気」

「とうさんかつらかったな」は「倒産か、辛かったな」とも「父さん、カツラ買ったな」とも読むことができます。このような言葉は「弁慶が長刀を持って…」の文で「な」の次に句点を打つように読むと「弁慶がな、ぎなたを持って…」とも取れることから「ぎなた読み」と言うそうです。「けいざいはきゅうこうか」は「経済は急降下」「経済波及効果」、「おしょくじけん」は、「お食事券」「汚職事件」と言葉遊びで、意味を違えて捉えていくなら、何の問題もありません。しかし、先日の静岡県知事選の応援演説で、上川外務大臣が「産まずして何が女性か」と発言し、後に撤回したという報道がありました。しかし、応援演説の内容を普通に聞けば“(女性の会が)応援する候補を生まず(当選)して…”と聞こえます。それを敢えて「産む」という漢字を当てての報道は、悪意すら感じるのです。当事者の上川外務大臣は、きちんと説明すればいいのに、もめる事を良しとせず、すぐに発言を撤回してしまいました。自分の真意がねじ曲げられた報道に対して“騒がれたから発言を撤回する”などという人間が、世界の国々を相手にタフな交渉ができるとは思えません。交渉には冷静な判断力と最後は強気(突進力)が不可欠です。単に女性登用というだけで、大切なポジションを与えているのだとしたら…、日本の未来はどうなってしまうのでしょうか。
今の日本社会は異常なほど、少人数の人権やハラスメントに反応します。上川外務大臣も「女性でも子を産まない人だっているのだ、その人の気持ちを…」という、重箱の隅を突っついたような意見に負けて?発言を撤回しました。かつては「ありがとう」と言われれば「どういたしまして」と言うのが当たり前でしたが、最近は「ありがとうございました」と言われたゲストも「ありがとうございました」と返します。「どういたしまして」だと、偉そうに聞こえるというのです。こういう話を聞いていると、日本の文化レベルがどんどん下がっていると実感するのです。
その原因の1つが“瞬間湯沸かし器形の人間の増加”だと思っています。SNSの登場以来、かつてでは考えられないほど、誹謗中傷がまかり通っています。匿名性の高さ(安易に個人が特定されない)から、自分に気に入らないことを見つけては、安直に相手を攻撃する。私たちの世代は「自分がされて嫌なことは、他人にしないように」と教わってきました。さらに「ふう(世間体)が悪い」という言葉に表されるように、周囲の目、社会全体の抑止力が働いていました。しかし「自分が絶対に批判されない」となれば、自分の感情むき出しの発言や行動は、少しもとがめられることなく拡散していくのです。
外国では、デモが行われると暴動に発展することが多いです。商店を襲い商品を略奪したり、車をひっくり返して火をつけたり…。一時の感情を爆発させ、商品を盗んで手に入れたとしても、その後、店がなくなったり、商品が届かなかったりと、多くの不便が待っているはずです。暴動にまではならなくても、今の日本は「ミスを犯した人間に、正義の鉄槌を下してやる」的な発想がまかり通っています。以前の会報で述べたように、感情にまかせて行動した後、更なる不便を長時間被ることになるのです。
これからの私たちは“正義を判断する目”、“冷静に自分を制御する心”を養っていかなければならないのです。武道の稽古は、単なる肉体の鍛錬ではなく、(我慢する)心、冷静な状況判断も養ってくれるのです。日々の稽古に励みましょう。

 

「日本文化」

表面で日本の文化レベルが…という話題を載せました。海外から日本を訪れる人達が「日本って素晴らしい」と感じるところが“礼儀正しい”“きちんと列を作って並ぶ”“電車や地下鉄が時間通りに来る”“おもてなし文化が隅々まで行き届いている”“チップの習慣がない”“治安が抜群に良い”“自販機が至る所にある”“ウォシュレット付きの清潔なトイレ”“落とし物・忘れ物をしても、けっこう後日見つかる”などなど、たくさんあるそうです。こういった穏やかな民族性は260年にもわたる平和な時代が育んでいったものです。他国の侵略を受けない、長期間の平和な時間のお陰で、法律や罰則がなくても、自然に人間同士が一番心地よく暮らしていける環境が作られていったのです。第2次世界大戦が終わってから約80年、再び日本は平和な時代を重ねています。平和な時間が続けば、人々の暮らしを快適にする住居やインフラはじめ、公園・美術館などの文化施設もどんどん作られます。しかし戦争は、それらを一瞬にして奪い去ってしまうのです。未だ世界の至る所で戦争が行われ、毎日何の罪もない人の血が流され、多くの建造物が破壊され続けています。
日本人はよく「すみません」という言葉を使います。謝罪のほかにも、軽い声かけや「ありがとう」という感謝など、さまざまな意味合いで使われます。一方海外では、日本の「ごめんなさい」や「すみません」とは感覚が違い、「謝罪=自分の非、責任を認めること」になるので簡単には謝罪の言葉を使いません。昔海外旅行に行くときに「何かミス(事故)をしたときでも、絶対にI’m sorry(ごめんなさい)を言うな」と言われました。自分が非を認めたら、賠償責任が発生しとんでもないお金を請求されてしまうからだと言うのです。諸外国の多くが他民族から侵略をされたりという歴史を持っているため、言語、文化の違いから起こることを解決する方法として、細かいことも文書によって定める、という契約社会ができあがっていったのです。一方日本では「言わなくても分かるでしょ」という暗黙の了解、他人との距離を尊重し合い、互いが一番快適にいられる関係を作り上げているのです。ですからある国で起こった「猫を入れてはいけない」と注意書きに書いてないので「猫を電子レンジに入れたら猫が死んだ、賠償しろ」などというおかしな話は出てこないはずなのですが…。
近年日本でも、相手を尊重せず、自分の一方的な感情むき出しで自己の正義を通そうとする人間が増えてきています。そういった人間から、自分の大切なものを守れる強さ、人を思いやる心、美しいものが分かる人間でいるためにも、心を鍛える必要があるのです。日々の稽古、お子さんの送迎もたいへんですが、将来への投資です。よろしくお願いします。

 

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