会報「あすなろ」2025(令和7年)7月号「パリピ孔明」
TVで「パリピ孔明」という映画?の宣伝をやっていました。「パリピ」って何だろう?そう思って、ネットで検索してみました。あっという間に“パリピは「party people・パーティー・ピープル」を英語っぽく発音(「パーリーピーポー」)して略した言い方で、俗に、集まって陽気に騒ぐのが好きな若者たち”と出てきました。かつては、分からない言葉は、辞書で引くか、知っている人に尋ねるかしか、知る方法はありませんでした。しかも新しい言葉は、辞書には載っていません…。なんとも便利な世の中になったものだと、一人で感心してしまいました。ただ、ネットの情報は“全てが正しいものとは限らない”ということを常に忘れてはなりません。特に地震などの災害時には『デマ情報』をSNSに投稿して、閲覧数を稼いだり、面白がったりする人が出てきます。最近は、AIを使ったリアルな写真(動画)が投稿され、さらに混乱を招いています。
パリピを調べた時、(先生の顔も名前も思い出せませんが…)かつての国語の授業を思い出しました。それは『言葉の変遷』がテーマであったと思います。先生の講義は、心理学用語で「ギャングエイジ」と呼ばれる年代の説明から始まりました。gang ageとは、小学校3・4年生ころから起こる反抗期のことを指します。大人よりも仲間の考えを重視し、女の子同士、男の子同士で集団をつくって行動するようになり、言葉も仲間だけで通じるような言葉(隠語)を使ったりします。この時一番多く使われる技法が『省略』です。例えば、友達をダチ、新宿をジュクのように言います。それの1ステップアップが『転倒』です。上野をノガミ、びっくりをクリビツのように、とにかく自分たちだけの秘密の言葉を使い、連帯感を確認し合うのです。この傾向は、社会の中でも見られ、特に仲間意識が重視される893(ヤクザ)や警察などの世界で顕著だというのです。言われてみれば刑事ドラマで犯人のことをホシ、といいます。これは犯人の目星がついたことに由来、つまりこれは『省略』、最も初歩的な隠語です。さらに先生の話は進み、言葉を作る人の知的レベルが上がると「クリエイティブな『造語』が生まれてくる」と言います。無駄話をすることを、無駄話を弁ずると言い直し、そこに省略を加え「駄弁る」、さらにもう一段レベルアップして、英語の進行形~ingをつけて「ダベリング」…。
かつて(半世紀前)の授業を思い出して、現代社会を見てみると、使われている言葉はギャングエイジレベルの言葉ばかりです。AIの出現や超高速の通信網など、文明はすさまじいほどの進化を遂げていますが、自ら考える場面が減ったり、手間のかかることを敬遠したりと、人間の思考(行動)は進歩するどころか、どんどん稚拙になってしまっている気がします。本来ならば、幼少期の人間関係を作るために、最も影響力のあるべき学校教育が、確実にその力を失ってきています。子ども達は、我慢したり、人の痛みを感じたりということを学ばず、大人になっていくのです。
今これだけ、訳の分からない(全く無関係の人の命を奪う)犯罪が増加している背景には、私たちの『文化レベルの低下』があるのかもしれません。武道(文化の伝承)を学ぶ者として、今こそ、武道の教えを実践し、広めていきたいものです。
自 己 責 任
日本の最高峰、富士山の登山が解禁(山梨県側7月1日、静岡県側7月10日)されます。富士山の登山シーズン終了は9月10日、僅か2ヶ月しかありません。5月に“(閉山中の)富士登山で遭難し、救助された中国人留学生が、山頂付近に忘れたスマホを取りにいって、また遭難し救助された”という事故(事件?)がありました。遭難者が外国人であり、しかも登山が禁止(しっかりとした冬山装備での登山は、届け出をすればOKらしいです)されている時期の軽装の登山。さらに2度目の何ともふざけた理由の遭難がきっかけで“山岳救助の費用を有料化してはどうか”という知事らの発言が報道されました。遭難者の救助には、多額の費用と捜索隊メンバー自体の危険を伴います。ですから、知事の発言は至極当然のように思われます。ところが日本の法律で“110番と119番の通報は無料で救助に当たらなければならない”と決まっているのだそうです。救助にかかる費用は、当該自治体が負担しなければならないのです。通常の警察や消防の出動を対象にした法律が、山岳救助にも適用されているのです。この報道がなされた時にも、富士山の登山口では、半袖短パンの外国人登山者が、登山道を閉鎖している柵を乗り越えて、下山している様子が映し出されていました。
我が国では、第二次世界大戦の敗北以降“命は何物にも代えがたい”という考え方が絶対的なものとなっています。身勝手な理由で、通り魔殺人を犯した犯人ですら「生かしていく価値がない」などと言ってしまったなら、マスコミやSNSで即、人非人扱いされてしまいます。年金や生活保護などでも、積み立てや、納税の義務を果たさない人でも、最終的にはお金(税金から)が支給されます。今の仕組みで、本当に助かっている人がいる反面、全く自己の責任を果たさず、法律の隙間を狙ってというより、率先して利用している人間もいるのです。そして残念ながら、こういった“楽をして生きていければ、それが一番と考える人たち”が増えているのです。
武道の稽古(スポーツの練習も)の多くは、地味な動きの繰り返しです。あまり運動が得意でない人(我が道場には、かなりの割合で)でも、その地道な稽古を繰り返すうちに、想像以上のパフォーマンスを発揮できるようになります。しかもそれは、体だけではないのです。同時に心も鍛えられていきます。楽をして手に入れることを最上としている人には分からない、本当の喜びを手に入れられるはずです。一生の中で、真の幸福を手に入れることができるか、見せかけの幸福を追い続けるのかは、まさに小さな自己責任(の行動)を繰り返した結果なのかもしれません。

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