会報『あすなろ』2013年10月号

支部長の独り言 『誰がやるの?――あなたでしょ』

asunaro201310

「チャリーン」5円玉が舞う。「神さま、仏さま、今度の大会でで優勝できますように、それから、かわいいガールフレンドができますように、えーと、それから、背があと10cm高くなりますように、できれば足だけ伸びますように。え~と、それからあれと………」
神社やお寺に行くと、人はいろいろな願いが叶うように、と神仏に願い事をします。たった5円で(御縁がありますようにと、お賽銭(さいせん)に5円という人はけっこう多いようです)こうもたくさん勝手なお願いをされたんじゃ、さすがの神さま、仏さまでも「ちょっと待ってくれ!」ということになるんじゃないでしょうか。『困ったときの神頼み』という言葉がありますが、我々はちょっと安直に人に頼ったり(人のせいにしたり)することが多すぎるようです。

こんな話があります。剣聖と呼ばれた宮本武蔵は、吉岡一門との決闘に向かう途中、小さな神社を見かけ、ふと弱気になった。「今日の決闘に勝てるように、お祈りしていこう」 二、三歩祠へ(ほこら)向かって歩き出して、ふと考えた。「勝負をするのは神さまでも仏さまでもない、この自分だ。その自分が勝負の前に神仏に頼るようでは、最初から気持ちが負けてしまっているじゃないか。頼れるのは今まで鍛えてきたこの自分の腕だけだ」と。そこから武蔵はくるりと振り返り、決闘に向かったといいます。
神社やお寺に御参りをし、本尊を拝み、手を合わせ願を掛ける。その後お守りを買って一丁上がり。「これで御参り終了」と、思っている(勘違いをしている)人が案外多いのですが、本来“願を掛けて、お守りをいただく行為”というのは、一方的に勝手なお願いをして終わってしまうものではなく、神様(仏様)と約束をする行為だといいます。神様(仏様)に『私は、これからこんな努力(良いこと)をします。見ていて下さい。その代わり、それができたら神様(仏様)私に~をさせて下さい』という自分の努力を誓う行為だというのです。ところが、人間というものは、その時は本気で決意しても、『忘れてしまう』ということがあります。そこでお守りを持つのです。お守りというのは常に身近において、神仏との約束を忘れない(それを見て思いだせる)ための印(しるし)なのだといいます。

試合や試験も同じだと思います。ただ一方的に『大会で優勝できたらいいな~』とか『○○高校に入学できたらな~』願うだけでなく、それ以前に自分はこれだけの事(稽古・勉強)をやったんだ。というものがあるべきなのです。そして、その上での幸運を神仏に願うものだと思うのです。宗教に限らず、世の中には、いろいろな意見や考え方があります。でも、最終的に自分の道を決めるのは自分だけであることさえ忘れなければ、どんなことでも満足していけるはずです。

ここにきて、当道場の小学生の中にも、自分の意志で稽古に励めるようになってきた子が増えてきた(素晴らしいことです)ようで、目の輝きが違ってきました。日曜日にはスポーツ少年団の大会があり、来月には四市の大会があります。試合に勝つことは、1つの大きな目標となると思いますが(最終的に優勝できるのはたった1人なので)、それを叶えることは、なかなかたいへんなことです。でも、いろいろな大会は、毎日の自分の努力を測る1つの目安となります。
そんな思いで、大会に臨んでいけば、普段の稽古のよい励みとなると思います。

支部長 重田紀元

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