会報『あすなろ』2014年8月号
支部長の独り言 『最高の選手たち――武道論2』
柔道が世界のJUDOになってから、いろいろな技に制限が加えられるようになってしまいました。外国人が見て、レスリングなどとの違いを明確にするためという理由らしいですが「手を使って、足を取るのは反則」などと、古来よりあった技まで使用禁止にするというのは、武道である柔道がJUDOという勝ち負けを重視したスポーツになってしまったと言えるでしょう。
過去に何度も述べたことですが、日本人は“○○道”という考え方を好みます。つまり武士道的発想で、習い事も単に楽しむだけでなく、修行として自らの人生に役立つよう・人生に反映させようと考えます。
私たちが今参加する多くの空手の大会が、全空連スタイルで行われます。全空連は空手のオリンピック種目入りを目指し、安全なスポーツ競技として、世界のKARATEを目指しているそうです。安全であることは、もちろんとても大切なこと要素ではありますが、格闘技において、安全がすべてにおいて優先してしまうと、また意味合いが違ってきてしまうように思います。例えば安全なスポーツと思われている卓球ですら、足を滑らせ卓球台の角に目を打ち付ければ、失明することもあるかもしれません。だからと言って卓球をするのにフルフェイスのヘルメットをして卓球をする人はいないはずです。
剣道は竹刀を使うようになって、本来の刀の持つ間合い(触れれば切れる)の緊張感はなくなってしまいました。竹刀を刀と言いながら、面(小手や胴)に打撃が加わっても、気剣体一致(気合いと姿勢)でないので「不十分」。などのように、哲学的?な解釈をしながら「修行の過程を以て武道である」と言っているように思えます。空手は拳や蹴りが当たれば「痛い」「怪我をするかもしれない」からこそ、お互いに対峙した時、ぎりぎりの緊張感があるのです。その緊張感があるからこそ、命を守る(何度も言うことですが、そういった状況は、車のパンクと同じ程度にしか起こらないかも知れませんが、世界のどこかでしょっちゅう起こっています)大切な人を守る、という自信・意識が育つのではないでしょうか?
私たちが所属している國際松濤館空手道連盟は、武道的要素を色濃く残そうとしている、ある意味で、今の大きな世相の流れとは違った方向を向いて(防具に軽く触れただけでは反則としない…など)いるかもしれません。今大会では、試合直後の選手の握手はしないことも強く指導されていました。静かなお互いへの『礼』が、相手を敬う武道本来の心であるからです。今回の大会では、残念ながら勝負に勝って大喜びで(あるいは負けて悔しがり)コートを去り、審判に注意を受けた選手を見受けましたが、我が木更津中央支部の選手は全員、組手・型の試合において、最後の『礼』がしっかりとできました。これは何より素晴らしいことであり、すべての選手を誇りに思います。
試合の結果・感想は、裏面に述べてあります。今大会を終え、改めて『基本』の大切さを実感しました。派手さのない地味な稽古ですが、これからも重視していきたいです。
支部長 重田紀元
