会報『あすなろ』2015年9月号
支部長の独り言 『守・破・離』
先日、久しぶりに電車に乗ろうと駅のホームに降りました。
そこにミニスカート姿の若い女性がホームに(直(じか)に)座り込んで大声で友だち?と話をしていました。駅のホームは、マナーの悪い人がつばを吐いたり、酔っぱらいが○○したり…とあまりきれいなイメージはありません。そこに素肌をつけて座れる感覚に?周囲の人もびっくりしていました。今ではほとんど死語になってしまった感がありますが、昭和の時代にはよく親が子に向かって「風(ふう)が悪い」という言葉を使っていました。風が悪いは、世間体(せけんてい)が悪いというような意味で使われていたと思います。また「人の振り見て我が振り直せ」などという諺もあり、我々日本人が“社会生活を営む基本”の1つを周囲の人の行動から学んでいたことを示しています。鳥や魚の大群が互いにぶつからず一斉に方向転換する姿、これは1つ1つの個体が、互いの距離・動きをしっかり認識しているからこそできる動きです。かつての日本人は、自然の中のいろいろな現象を手本として取り入れてきました。集団生活をする人間が、この鳥や魚の動き、アリやハチの秩序を1つの手本としていたことは容易に想像できます。
他を見る目を養うということは『自分の行動の基準』となる感覚を養うことです。かつて剣道をやっていた時に教わった言葉で『守・破・離』(しゅはり)という言葉がありました。これは、先生や目標とする人の教えをまず守(る)真似(まね)る。自分にその教えが身に付いてきて自然にできるようになったら、さらに一歩進んで、自分なりの工夫を加えて、その人の教えを越える=破(る)。そして、最後には自分独自の生き様を手に入れ、先生の元を離(れていく)。という教えだったように思います。全国大会の前日、支部長会議でこんな質問が出ました。「國際松濤館では『型』と表記しているが、他の空手の団体は『形』を使っている、これでいいのか」と。すると村上主席師範が「型は鋳物の型、まず全く同じ型を目指す。それができるようになって、自分の思いや解釈が加わり自分なりの形になるので、我が國際松濤館は『型』でいきます」と答えました。國際松濤館の一般有段者の組手は、メンホーをつけません。危険と紙一重の攻防が繰り広げられます。だからこそ、基本がしっかりしていることが重要になってきます。
何度も話題にしたことですが、我々日本人は稽古事を○○道として、人生と重ねていきます。その発想でいけば、私たちが空手を学ぶ1つの理由は“自分がどんな人生を送るのか”を学ぶことだと思うのです。自分の周囲に「ステキだな~」とか「あんな風に生きてみたいな~」というような手本となる人を見つけ、どうしてその人がステキなのかを観察し、自分もそうなれるようにマネをしていきます。何かに迷ったときには「あの人ならどうするだろうか?」と考えます。こんなこと(周囲を観察し、良い物をマネる)をしていくうちに『明確な自信溢れる自分』が作られていきます。現代は個の時代だと言われますが、空手の稽古を通して、しっかりした(社会的・論理的に裏付けされた)主張ができるだけの知識・感覚を若いうちに努力して身につけ明確な個が主張できるようになりたいものです。
支部長 重田紀元
