会報「あすなろ」2018年8月号 「武道家の心」
サッカーのワールドカップが終わりました。
当初は予選リーグ(すべてが格上チーム)で1勝もできないのでは?という予想を裏切り決勝Tに進出しました。
この決勝進出を決めた?試合(決勝T進出のため1点差での負けを選択する)はまさに、勝つことを最優先する
スポーツの色合いを濃くしたゲームでした。
ただこの判断はセネガルとコロンビアの勝負の結果によっては…というバクチ的な選択で、賛否両論の意見
が出ていましたが…。とにかく、良くも悪くもスポーツは結果次第。勝てば官軍です。
サッカーにはほとんど興味の無い私ですが、やはり日本が勝つと嬉しく思うのです。それが祖国というもの
だとは思いますが…。
ところで野球の日本代表は、サムライジャパン。サッカーはサムライブルー、いろいろな海外派遣団にも
「サムライ」という言葉が好んで使われています。
サムライとか武士道とか言うと、士農工商のトップで、殿様(お家)のために生きているイメージや節制し
た厳しい修行生活・斬り合いなどが思い出されますが、我々が生きていく中で生かされていく武士道は、
もっと身近なところにポイントであると思っています。
職場の私の席は出入り口のすぐ側です。ここに座っていて一番気になるのがドア(横開き)がきちんと閉め
られない人がとても多いということです。
冷房されているのに、平気で開けっ放しにして出て行く、きちんと閉めない。反対にドアが開放されてい
て、風を入れているのに閉めていく人がいます。要は、何も考えずに行動しているのです。
かつての武士とは、単に武芸に優れるだけでなく、高い教養を持っていて常に高みを目指し、庶民達の手
本となるべき存在でした。
過去何度も述べてきましたが、現代において武道を学ぶ意味は、『道』すなわち、いかに人生を有意義に
生きていくかを学んで行くことだと思っています。
その中で、人生を美しく生きるための立ち居振る舞いも大切な要素だと考えます。単に型通りに動くので
はなく。周囲の状況を見極めた上、ベストの『美』を求めていくのです。それができるようになるために、
道場では出入り口で靴をそろえたり、整列の時先輩の前を通らない、遅れてきて稽古の列に入る時、動き
が止まった時に「失礼します」と言って入ったりという『型』も学ぶのです。
最初に基本、できたら応用は、武道も社会も同じです。
日常のちょっとした行為が美しさを分ける(動作に美しさを感じるか感じないか)のです。どんなに好きで
好きで一緒になった夫婦でも、何十年と暮らしていくと「愛」だとか「恋」とかいう感情は薄れていくも
のです。ただ何年たっても、しとやかさ、身についた美しい動作というものは色褪せることがありません。
近年日本でも結婚というものの意識も変わって安直に、結婚、離婚できるようになりましたが、オス・メス
としての生物的な魅力が減少していってからも、人として身に付けた美しさ・絆は、永遠に失われることは
ないのです。
かつての武士は、自らの死に対してまでも『美』を求めましたが、現代ではその精神や心を我々の生活に生
かしていく方法を学んでいければ十分…と思っています。
平成30年8月1日 支部長 重田 紀元

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