会報「あすなろ」2018年11月号 「スポーツの商業化」
卓球の張本選手の妹がメジャーデビュー?しました。
早速マスコミは、母曰く「センスは智和より上」という妹のかけ声に注目していました。
最初は「よー」と言っていたものがマスコミが取り上げるようになると「さぁ~」と愛(先日
引退表明した福原愛)ちゃんと同じかけ声になりました。勘ぐれば切りがありませんが、どこか
で「よーじゃ迫力無いよ」とか「もうちょっと、お兄ちゃんのように気を引くものがいいんじゃ
ない?」みたいな、マスコミ関係者の働きかけがあった?…かのようなタイミングです。
何度か取り上げましたが、日本のスポーツは学校体育の延長として発展してきました。
当然ながら“スポーツを通して人間形成を行う”という教育的な色合いが濃く、楽しむことや個
人の利益の追求などは、当初想定されていませんでした。ところがサッカーの人気上昇・人口増加
とともに、この図式に変化が出てきました。
それまでスポーツ選手の多くが丸坊主(短髪)で、常に「スポーツマンシップ」(見た目の爽快感
も…)が求められました。Jリーグが発足しサッカー人気が不動のものとなってくると「サッカー選
手の格好はだらしない」が『個性の表現方法の1つ』へ、と世論も変化してきました。
実はこのタイミングで、学校の制服も大きな変化がありました。日本の学校教育の中で制服が取り
入れられた要因はいくつかあります。かつては、日本国民が貧しく「毎日違う服を着て登校できない」
等もあったと思いますが、学校生活の中で、外見で個性を表すのではなく、同じ服・格好をしていても
「絶対に同じでない個」に気づき見つめていって欲しいという願いが込められていたと思うのです。
ところが多くの学校が、制服(ユニフォーム=1つの形)という表面の指導ばかりにとらわれ「スカー
ト丈何cm」等の指導が多くの反発を生んでしまいました。ただこれも時代の流れと共に、学ランから
ブレザーに制服が替わってくるにつれ、制服の異装に力を入れる生徒もいなくなってきました。
派手な格好で活躍してくれる人気選手は、企業からすると最高の宣伝塔となるのです。一見莫大な
契約金も、定期的にゴールデンタイムに宣伝を流すことや、その効果を考えたら全く高いものではない
はずです。だからこそマスコミで高頻度で取り上げられるようなスポーツ選手は、高収入を約束された
ようなものなのです。
今年100回という節目を迎えた高校野球でも、マウンドで雄叫びを上げている選手が審判から「進行
の妨げになる」という注意(本当は「そんなみっともない真似をするな…?」)を受けました。確かに、
大きな声が出るとモチベーションが上がったり、プレッシャーが和らいだりというメリットも考えられ
るでしょうが、相手のあるスポーツで、相手のミスをヤジったり、威嚇をしたり、というのは、自分が
相手の立場であったら…と考えたら気分の良いものではないはずです。
“自分がされて嫌なことは相手にしない”というのはスポーツに限らず、大切なことのはずです。
それが「目立てば金になる」が当たり前になってくると、今後ますます“相手の気持ちを考えないパフォ
ーマンスだらけの試合”になってくるかもしれません。そんなスポーツ、楽しくないと思うのは私だけで
しょうか?

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