会報「あすなろ」2019(令和元年)年6月号 「幸せを見出す力」
改めて空手のような武道を学ぶ意義を考えてみたいと思います。
まず考えられるのは健康でしょうか。ただ“体を鍛える“”競技を楽しむ”という観点から見れば、
武道である必要はありません。どんなスポーツ(最近はeスポーツ〔俗に言うTVゲーム〕も五輪
に…などという話もあります。
TVゲームがスポーツかという問題もありますが、(ここでは一般的な)でも体を動かして汗をか
けば楽しいし、そこそこの健康感も得ることができると思います。
昨年4月「日本体育協会」が「日本スポーツ協会」に、と名称の変更をしました。これに伴い木更津
市役所の体育振興課もスポーツ振興課に変わりました。元々日本のスポーツは体育(教育の一環)
として、体を鍛える・精神を鍛えるが優先され『楽しむ』は、その次であるという認識の元に発
展してきました。ところが近年の働き方改革にも見られるように、生真面目さも良いけど“もっと
西洋人のように余暇を楽しみましょう”という風潮からか役所の「体育」の名称は「スポーツ」へと変
えられたと思われます。
これに伴い、スポーツは“見て面白い”“TVの放映時間内に終わる”等が重要視されルール自体の改
正(改悪?)もどんどん行われるようになり、スポーツの娯楽化は加速されています。
見られる競技となると勝つ事が最大の目標となります。かつて日本人が大切にしてきた“戦う相手
(環境)のお陰で自分も成長できる”という思いは、どんどん失われてきています。かつて中学校の
部活で「体は動かしたいけどあまりきついのは嫌だ」というあまり運動が得意ではない生徒の人
気No1の卓球は、今や格闘技のようです。1点取る毎に相手に向かって(侮辱的な?)雄叫びをあ
げる姿には“相手から成長させてもらう”という意識は全く感じられません。勝ちさえすれば…と
いう傾向は、スポーツをする側にも現れてきました。
こんなに平和で、素晴らしい文化を持つ豊かな国に産まれた幸運を手にしている私たち日本人は、
全ての人が幸せになれるチャンス(権利)を持っているはずです。
ところが多くの日本人は「自分たちは幸せではない」と口にします。体育→スポーツを例に挙げま
したが、目に見える(数字で表される)幸福を追うことに夢中になり、肝心の心を忘れてしまってい
るように思えます。
私たちが幸せを実感するには“感謝の気持ちを持つこと”“幸せを見出せる能力を持つこと”などが大
切です。と、言葉にしてしまうととても簡単な言葉になってしまうのです。
例えば『感謝の心』よく言われる言葉ですが、日常生活の中で心の底から「ありがたい」と感じら
れる瞬間がどれほどあるでしょうか?実際には、なかなかないはずです。
更に、真の幸せは「自分さえ良ければ」という発想をしている限り見出すことはできないはずです。
更に、この世の中、自分はしっかりしていても、降りかかってくる災いがあります。
1つは病気です。これは改めて言う必要もないと思います。
もう1つは人災です。通り魔のように、肉体的な被害を与えるものもあれば、イジメのように精神的
な被害を与えてくるようなものがあります。
これらに打ち勝ち、初めて幸福が実感できるのだと思います。
このように考えていくと、現代において武道を学ぶ価値が見出せるような気がします。
地道な稽古を続けることにより、必ずお金で買えない素晴らしいものが見えてきます。

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