会報「あすなろ」2019(令和元年)年7月号 「見出す力」
御朱印(もともとは写経を奉納した証としてお寺からいただく証書)集めがブームなのだそうです。
御朱印は、美しい毛筆で寺社名や本尊名が手書きされているため“参拝により一層のご利益を感じ
ることができる記念品”と人気が出ているようです。
ただブームに伴いトラブルも増えているそうです。
御朱印は、あくまで授かりものであり商品ではないのにネットで高値が付く商品(自分でお参りす
るからこその価値だと…)としか考えられない人が「こんなに待たせるな」などと全く自分の都合
しか考えない発言や行動(時には担当者に危害を加える)に出るというのです。
そして残念ながら、この「自分さえ良ければ」という人が、今どんどん増えているのです。
先月の会報で、武道を学ぶということは“互いに競い合う中で、相手を敬い、道具を大切にし、更に
稽古できる環境やそれを支える人たちへの感謝の心を身に付け、最終的に幸せを見出す力を得ていけ
ること”と述べました。今回はもう1つの“幸せを見出せる能力”について考えてみたいと思います。
“笑う門には福来たる”という諺がありますが、笑いには、人の精神だけでなく肉体的にも良い影響を
与えることが医学的にも証明されています。
笑いというと私たちの身の回りには、おバカタレントの無知さをあざ笑ったり、ドツキ漫才のような
見た目の滑稽さのみで得られる笑いが溢れています。
TVでも、ストレートに面白いか面白くないかで出演率が決まってくるので「一発屋」と呼ばれる芸人
が次々に登場しては消えていきます。
ただ日本には、違う笑いの文化もあるのです。例えば『落語』です。こちらは聞き手にあるレベルが要求
されるのです。頭の中で登場人物を整理し、ストーリーを描き、時には俳句や和歌といった知識も必要と
なります。これらが欠けてしまうと「何が面白いの?」と落語そのものを楽しむ事もできません。
空手でも、柔道でも、相撲でも「(目に見えない)相手との攻防」で、どうしても動けない時があります。
かつての日本人は、その心の読み合い等も観戦の楽しみとしていました。
ところが現在は“動きがなくてつまらない”となり、ペナルティーを与え短時間で勝敗を決する事が優先さ
れるようになりました。
『合理的』と言えば聞こえはいいように思いますが、何でもかんでも安直に答えが出てくるもの・スト
レートに感情に訴えるものばかりです。
政治家や教師の発言も、その一部を切り取られ、そこだけで判断されてしまう世の中となっています。
そんな情報を鵜呑みにし、振り回される人は、決して真実を見抜くことはできないのです。
ロープーウェイで山頂に行き、美しい風景を見るのも良いのですが「昔の人は、どんな思いでここまで来
たのだろう…」と思いを馳せられる人の方が、確実に山頂からの景色を楽しめるのだと思います。
物事の真理を見抜くためには、自らたくさんの情報(知識)を手に入れ、そこから得られる知恵を『智慧』
に変えていく能力をを身に付けていかねばならないのです。
仕事でも空手の基本でも「毎日同じような繰り返し」としか思えない人は、その中から何らかの価値(喜び)
を見出すことはできないのです。

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