会報「あすなろ」2020(令和2年)年10月号「現代教育批判」

今から30数年前「親の私ですらこの子を叩いたことがないのに、うちの子を叩くなんて先生はひどい」

という苦情(今なら苦情じゃ済みません)を受け「だから人の気持ちが分からない子になっちゃうんです

よ」みたいなことを言ってしまったことがあります。

プロ野球でも『鉄拳制裁』などという物騒な言葉が使われていた時代、学校での体罰もある程度容認?

されていました。ただ、カッと頭に血が上ってしまう先生(に限りませんが…)が生徒に怪我をさせてし

まったりと、今考えても体罰と暴力は紙一重であり、一概に事の是非は語れません。

とにかく現在は体罰(肉体的なものも、精神的なものも)は一切御法度、以前に述べたように、現在の学

校の先生は、客の苦情に耐えるホテルマンのようです。

いろいろな考え方がありますから、どれがベストなのかは言い切れませんが、個人的には「小学校の低

学年くらいまでは、人に危害(迷惑)を加えたりした場合は、西洋での躾けのように、お尻くらいピシャリ

と叩いても良い」と思っています。

かつての教師は、文字通り取っ組み合いながら共に成長していくという喜びがありました。(8月号で)

教え子に「教師は夢もやりがいもある仕事だ」と私が言い得たのは、まさにそんな時代でした。

人間を育てるという熱い思いを持って教師になった教え子は、その子の将来を思って親身に面倒看よう

とすればするほど、現在の教育?方針とのギャップを感じ「今の自分は何の夢も持てない」と言うまで

になってしまったのだと思います。

今の時代一番良い?先生は、子供の将来など考えず、上司に言われたことだけやる授業のスキルの高い

(子供の成績を上げる)先生です。“親であっても子を叩けば(躾けでも)暴力”この人権思想は本当に日本

に必要でしょうか?

杉の木をまっすぐに伸ばすために、枝打ちという作業をします。人間も生まれたまま何もしなければ、

ただの動物になってしまいます。人間が、人間らしく成長するためには『躾け』と『教育』が不可欠

です。

かつては、家庭内には祖父母が、近所には怖いおじさんがおり、いろいろなことを子ども達に伝える

ことができ、各家庭・近所に小さな子を躾ける能力がありました。

学校に入る頃には、ある程度の良識を持った子がほとんどになっていました。

ところが現代は、家庭での躾ができないまま学校に入学。学校も人格完成を目指す所から、塾のよう

に学力だけを付ける所になってしまっています。

過日の育成会の折に「うちの子はあまり行きたがらない時があるのですが…」と言う声を聞きました。

人間ですから、その日の気分によっても波がありますし、今の子は学校や家庭で何かを我慢するという習

慣が、どんどん減っています。

   “親があきらめた時が、子が強くなるチャンスを失った時”でもあります。今の時代、親として子に与えて

やれる『物』はたくさんあるかもしれませんが、肉体的・精神的強さ等は決して容易に買い与えることは

できないのです。子どもの意欲は常に高いままキープされるわけではありません「もう嫌だ」「行きた

くない」こんな時もあるはずです。

親の側も「疲れた」「一回くらい」となる日もあるのです。そんな時、親は“我が子に何を与えたいのか”の思

いがどれだけ強いのかです。

とにかく続けることです。そのためには、親も子も踏ん張る時がなければなりません。

ただ(学校も同じですが)、行くことが本当に苦痛になった時(この見極めも親の努めです)は、休ませるこ

とも必要です。

学校も道場も命をかけてまで行く所ではありません。

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