会報「あすなろ」2021(令和3年)年9月号「オリンピック終了」
「コロナ禍でオリパラやるなんて…」
と開催批判の報道をしていたマスコミも、いざ始まって『メダルラッシュ』となれば、手のひら
を返したように「オリンピックは素晴らしい」報道一色となりました。まあ、いろいろな意見が
あるでしょうが、様々な種目の一流選手の活躍を見ることのできる機会として、オリンピックは
素晴らしいものだと思います。
オリンピックに限らず、試合に出場する選手は皆、優勝(金メダル)を目指して戦います。
しかしどんな強い選手でも勝負は紙一重。勝つこともあれば、負けることだってあります。どん
なに頑張っても勝者(チーム)は1人(走り高跳びでは2人でした)です。
勝った選手も負けた選手も、勝負の後には共に戦った友として、お互いの健闘をたたえ合う美し
い姿を私たちに見せてくれました。
そんな中で、ちょっと考えられないような報道をしている国がありました。
オリンピック開催前から反日キャンペーンを繰り返し、ボルダリングの課題が旭日旗に似ている…
あたりになると「よくぞ、そこまでこじつけられたもんだ」と、もう笑うしかありません。
日本に対してだけでなく、自国の選手にも「おまえのエラーで日本に負けたんだ」とバッシング、
もうめちゃくちゃです。ちょっと話が脱線しましたので、話を五輪のKARATEに移したいと思います。
五輪初登場で成果が期待された空手でしたが、形で喜友名諒…金、清水希容…銀、組手で荒賀龍太
郎…銅の合計3個、メダルラッシュとはいきませんでした。
冒頭にも述べたように“勝負は時の運”みんなベストを尽くして頑張ったので、どうこう言うつもりはあ
りませんが、何度か述べたように『空手道』という武道は『KARATE』というスポーツになったんだな~
という思いがぬぐえませんでした。
良くも悪くもスポーツは、科学(数値化)によって『公平さ』を追求しています。空手も他の格闘技と同様
に、体重によりクラスが分けられ、誰が見ても技の区別がつくように、突きは1ポイント,中段蹴りは2,
上段は3,と点数化。“間合いの攻防”や“気迫の応酬”といった、見ていて退屈?な動作には、罰則を設けま
した。他の武道にはあまり見られない『形』(國際松濤館では型)において『気迫』は、顔の表情、気合いの
大きさ・長さで採点されるようになりました。
武道は命のやりとりから生まれました。勝者は敗者の命だけでなく相手家族の生活まで奪ってしまう、だ
からこそ“どちらが勝っても恨みっこなし”正々堂々と戦う中で、相手(道具にまで)に敬意を払うようになった
のです。ですから戦いの最中に相手を睨みつけて大声で威嚇(今の空手の気合いはまさにこれ)したり、という
行為は恥ずべきものとされてきたのです。
ただ、スポーツはやって楽しむ以外に、見て楽しむ要素が大きいため、観客にとってわかりやすい勝敗&面白
いことが重要で、海外進出と共にルールがどんどん改訂されました。
テニスの試合で、苛立ってラケットを破壊することがよくあります。「パフォーマンスの1つなんだから、い
いじゃないか」という意見もありますが、一生懸命道具を作ってくれる人の苦労を思ったら(武道の精神)とても
できないはずです。そういう意味でもオリンピックの空手(柔道も)は「なんか違うな~」という思いがぬぐえま
せんでした。かつて國際松濤館の世界大会で、館長の娘さんが技を決めた時、思わずガッツポーズをしてしま
い、技が取り消されたことがあったそうです。そんな空手の流派、あっていいと思います。

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